ヒロシマ新聞トップ > 終わらぬ被害 止まらぬ核開発競争[記事]
  • 止まらぬ核開発競争
    生まれ続けるヒバクシャ

●核時代

 ヒロシマ・ナガサキが「核時代の幕開け」と言われるように、第二次大戦後、世界は核軍拡競争を繰り広げた。

 東西冷戦下、1949年に旧ソ連が原爆実験に成功。英国、フランス、中国が続いた。両陣営は、核兵器を持つことで敵の侵略や戦争を抑止できるという「核抑止論」を振りかざし、全人類を滅亡させるのに足るほど大量の核兵器を製造・蓄積した。

 「核戦争一歩手前」と言われた62年のキューバ危機は、結果的に米ソを歩み寄らせ、63年には部分的核実験停止条約(PTBT)が締結、大気圏核実験が禁止された。96年には、核爆発を伴うあらゆる実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連総会で採択された。

 核拡散を食い止めようと、70年には米ソ英仏中の五カ国を核兵器国と定め、それ以外の保有を禁じる核拡散防止条約(NPT)が発効した。しかし、インドなどは不平等条約として反発している。

 そのインドは98年に地下核実験を強行。対立する隣国パキスタンも応酬した。NPTには両国のほか、保有が確実視されるイスラエルも未加盟だ。

 NPT体制は、2000年の再検討会議で非核保有国が、核保有国から核兵器廃絶への「明確な約束」を引き出し、最終文書に盛り込むなど前進もあった。だが05年の同会議は成果を残せず閉幕。最近では、北朝鮮がNPTを脱退して核保有宣言し、米国は「使える核」としての小型核開発に意欲を燃やすなど、NPT体制は崩壊の危機にある。


●世界のヒバクシャ

 核時代は次々と核被害者を生む。カザフスタンのセミパラチンスクや中部太平洋マーシャル諸島など、たび重なる核実験で汚染された地域では、今なお住民が放射線の後障害などに苦しむ。ほかにも核兵器工場やウラン鉱山の従業員、実験に従事した兵士など、世界中に「ヒバクシャ」は広がっている。

 湾岸戦争以降、「放射能兵器」とも呼ばれる劣化ウラン弾(DU)の使用も続いている。


●反核運動

 日本の反核運動は、米国がマーシャル諸島のビキニ環礁で54年に行った水爆実験で、焼津のマグロ漁船第五福竜丸乗組員が「死の灰」を浴びた事件を機に盛り上がった。東京の主婦たちを中心に反核署名が始まり、原水爆禁止運動が国内外に広がった。世論の高まりは、世界の知識人に積極的に核廃絶にかかわるよう呼び掛けた「ラッセル・アインシュタイン宣言」にもつながった。

 日本の原水禁運動はその後、政党色を強めて分裂。それでも、国内外では数多くのNGOや団体が核廃絶や平和運動に取り組む。イラク戦争前の03年3月には被爆地広島に6000人が集まり、人文字で「NO WAR NO DU」を訴えた。

 政府レベルでも、南半球を中心とした非核地帯の設置など明るい動きもある。95年に東南アジア、96年にアフリカで非核地帯条約が締結され、中央アジアでも国連の仲介で今年5月、五カ国が非核地帯条約に仮調印した。だが、条約を実効あるものにするには核保有国の軍縮努力が不可欠だ。
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