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  • 新型爆弾、広島壊滅
    五万人以上が死亡

    (六日)
大手町から元安川越しに現在の平和記念公園一帯から本川方面を見下ろす。手前中央の崩壊した建物は広島瓦斯本社、右は広島銀行集会所、川向こうに燃料会館、右上に本川国民学校、その右上に茶臼山が見える。(撮影 米軍)
 六日午前八時十五分ごろ、米軍の爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が広島市上空で、新型爆弾を投下した。爆発のすさまじい爆風や熱線の影響で、市中心部は壊滅状態になり、都市機能は完全にまひした。

 市内は火事嵐に見舞われ、死者は五万人を超える見込み。医師や看護婦が負傷したうえ、薬品不足も深刻化。けがをした人々は、破壊された中心部を逃れて、市周辺に避難している。被爆直後から夕方まで、市北部から広島県北西部にかけて、黒い雨が降った。政府からは新型爆弾に関する正式発表はなかった。トルーマン米大統領は七日未明(日本時間)、声明を発表し、新型爆弾は「原子爆弾」だったことを明らかにした。


 同日早朝、米軍の気象観測機が広島市上空に侵入。午前七時九分、空襲警報が発令されたが、しばらくすると通り過ぎたため、同三十一分、警報はいったん解除。市民が仕事に出かけたり、市中心部で動員学徒や義勇隊による建物疎開作業が始まったばかりの同八時十五分、エノラ・ゲイが高度約九千メートルの上空から爆弾を投下した。

 爆弾が爆発したのは、細工町(現大手町)の島病院(現島外科)の上空約五百八十メートル。マグネシウムをたいたようなせん光が光り、大きな爆発音とともに、この地点は数百万度、数十万気圧に達した。強力な熱線と放射線も放出され、市民を襲った。

 爆発の威力は、通常のTNT火薬に換算して、約十五キロトン。B29一機が搭載する通常爆弾の約三千機分に相当する。爆発後、きのこ雲が立ち昇り、高度一万七千メートルにまで達した。

 被爆時、市内の人口は、広島県や広島市などによると、推定で二十八万〜二十九万人、郡部から動員された義勇隊や朝鮮人徴用工らが約二万人。戦闘員である軍人数は秘密にされているが、約四万三千人とみられ全体で三十五万人前後が被爆したと推定される。死傷者は十万人をはるかに超えそう。さらに、親類や知人を捜したり、救援部隊として市内に入る人が増え始めている。

 多くの市民は、倒壊した家屋の下敷きになったり、屋外にいてやけどを負うなどし、大勢の即死者が出た。また水を求めて川に入り、そのまま死亡する市民が続出。川面は遺体で覆われた。各地の道路も、負傷者であふれた。水を求める負傷者が多いが、水を飲むと息絶えるケースが相次いでいる。助けを求めて市周辺部に逃げていく負傷者も多い。

 爆風によって、市内のほとんどの地域で建物が倒壊するなどの被害を受けた。窓ガラスが割れる被害は、爆心から二十七キロ離れた地点にまで及んだ。
 熱線による自然発火などのため、市内各所で火災が発生した。火災によって熱せられた空気が上昇、その後に周囲から冷たい空気が流れ込む火事嵐が生じ、火事の勢いが一層増した。消防は壊滅状態のため、消火活動がほとんどできず、午後五時ごろになって、ようやく火勢は衰えた。爆心から半径二キロの範囲では、ほとんどの建造物が焼失した。

 中心部の病院など医療機関は致命的打撃を受けた。市内に十八カ所あった救護病院、三十二カ所の救護所も全滅。市内にいた医師二百七十人と看護婦千六百五十人のうち、約九割が死亡したり負傷した。壊滅を免れた広島陸軍共済病院や赤十字病院、逓信病院、陸軍病院江波分院などには、負傷者が次々に助けを求めて訪れた。多くの負傷者が、悪心や嘔吐、食欲不振などの症状を訴えている。しかし、医師たちは「明確な原因は分からない」と戸惑っている。懸命の治療が行われているが、医薬品不足は深刻化している。

 県庁、市役所をはじめ、警察署、消防署、郵便局、通信局、電話局、放送局などが大きな被害を受け、行政機能が混乱した。県庁が避難先に予定していた本川国民学校や福屋百貨店なども焼失するなどして使用できず、六番日の避難先だった比治山の多聞院に臨時県防空本部を設けたのは、夕方だった。

 市周辺部にある各警察署が急きょ、応援隊を編成。宇品にあって被害が少なかった陸軍船舶部司令部(暁部隊)も、負傷者の収容や移送、応急手当て、遺体の収容などの作業に当たった。しかし、負傷者を収容しきれず、広島湾の似島や金輪島に船で送っている。

 黒い雨は、午前九時ごろから午後四時ごろにかけて、広島市北、西部から佐伯郡、山県郡、安佐郡などで降った。雨にうたれた住民らは、服が真っ黒に汚れたり、川の魚が大量に死んで浮かぶなどしたため、不安を募らせている。
 
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 2005年8月6日発行 中国新聞労働組合 広島市中区土橋町7番1号 郵便番号730-8677
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