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原爆は広島市にいた多くの外国人も犠牲にした。その中心は、当時、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島から親類を頼って移り住んだり、戦時中に強制連行されたりした人々で、軍人・軍属もいた。
朝鮮人被爆者数、死者数については諸説ある。韓国原爆被害者援護協会(現韓国原爆被害者協会)が1972年に発表した被害状況は、被爆者5万人、死者3万人と記す。広島・長崎両市の原爆災害誌編集委員会が発行した「広島・長崎の原爆災害」(79年、岩波書店)はそれも判断材料に、被爆者2万5000〜2万8000人、被爆直後の死者5000〜8000人と推定した(いずれも広島に限った数)。創氏改名の強制など同化政策の影響もあり、「その把握は極めて困難」と同書は強調している。
当時の広島市には、台湾出身の軍人・軍属や旧満州(中国東北部)からの留学生、強制連行された中国人、インドネシアやマレーシアなど東南アジア各地からの「南方特別留学生」もおり、犠牲者が出た。市内に収容された米国人捕虜も十数名の死亡が確実とされている。
厚生労働省は、現在、海外に住む広島・長崎での被爆者数を韓国約2100人、北朝鮮900人、北米1000人、南米180人など、合わせて約5000人と推計している。
在韓被爆者に対しては80年、日韓両政府が渡日治療を開始。政府間レベルでは86年に打ち切られ、民間団体が継続した。90年代には日本政府が医療支援基金として40億円を拠出した。一方、国交のない北朝鮮に帰国した被爆者には、いまだ具体的な支援は実現していない。
司法の場では近年、被爆者援護法の基本精神を狭義に解釈し、在外被爆者の救済を切り捨ててきた行政の姿勢を戒める判決が続いている。2002年、大阪高裁は「被爆者はどこにいても被爆者」と指摘。来日して申請すれば、出国後も援護法に基づく手当の支給が受けられる現行制度への道筋をつくった。
05年1月には広島高裁が、三菱広島元徴用工被爆者訴訟で「在外被爆者の放置は違法」と、国に初めて賠償命令を下した。5月には広島地裁が、海外からの援護措置申請を却下した広島市の処分は違法として、取り消しを求めた被爆者側の請求を認めた。 |
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