|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
- 市内電車 - 爆風で車両吹き飛ぶ
(六日夜)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
紙屋町交差点北側の外堀の上から南東(大林組)に向って。手前斜の部分は外堀の堤防跡、その向こう全焼全壊した広島電鉄の電車は被爆時にはもう少し西寄り紙屋町交差点の宇品方面からの上り線広島駅方向の軌道上で被爆全焼全壊した。翌日から少しづつ移され、八月十一日にはほぼこの写真の位置まで寄せられてあった。この電車には生存者がいた。身長の低かった人で、満員の乗客の中で人の陰になっており助かったという。(共同通信の唐島さんらしい)電車軌道の向こうの全焼全壊地域は、午前から紙屋町、研屋町、立町、播磨屋町、平田屋町など。上部左の山は比治山、その手前にキリンビヤホール、大林組広島支店、安田銀行広島支店など。(十二日 陸軍船舶司令部写真部 川原四儀さん撮影) |
|
〈市 電〉
架線が市内全域で切れたため運行不能となった。千田町の本社は半壊。基町の商工会議所西隣の櫓下変電所、電鉄家政女学校などが焼失した。職員の死傷者は四百人を超えている模様。
爆発時、市内線を運行していたのは七十両。二十二両が全焼したほか、入庫中も含めて半焼三、大破二十三、中小破六十の計八十六両が被災した。全焼車両には爆風のため軌道から五〜十メートル吹き飛ばされたものも。広島駅前など市内各所の待合室はほとんどつぶれている。さらに電柱の損傷八百本以上、橋上枕木九百本余りが焼損した。
八丁掘では電車の中にいたため、熱線を浴びず、生き残った兄弟がいたらしい。
電鉄では、壊れていない車庫の電車の中に臨時の事務所を設け、被害状況を調べている。走行中の車両にかなりの市民がいたと思われるが、死傷者の状況は把握できていない。
復旧については壊れた橋を補修し、比較約被害が軽かった千田町変電所の回復と、被災を免れた廿日市変電所から市内線への送電を急ぐ。己斐方面からの運転再開を目指すほか、乗合自動車による不通区間の代替輸送も計画している。
乗合自動車は市内駐在車の七十八両が損害を被り、舟入町にある車庫と事務所が焼失した。 |
|
◇ |
|
〈道 路〉
倒壊家屋や多数の遺体で市内の道路はほとんどふさがれている。広島駅から海田方面へ通じる大洲町派出所前の道路は、市外へ逃れようとする負傷者が数珠つなぎになってとぼとぼ歩いて来る。息も絶え絶えの人、放心状態の市民…。肉親の安否を気遣って入市しようとする人もおり、混乱した。派出所員らは、罹災者の誘導や入市制限に疲れた身を押して当たっている。
防空活動の促進を図る目的で、軍官民一体となって主要幹線の警戒にあたっており、早ければ七日にも主要道路の清掃を終える。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|