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  • 防空計画役立たず
    B29三千機分 想定超す破壊力

    (六日夜)
この図は、六日朝八時十五分 北東方向から市内に侵入してきた米軍のB29が、原爆投下後、全速力で北に向けて飛び去ったとの証言を元にした。
 六日、米軍機が投下した一発の新型爆弾によって広島市は壊滅状態となった。建物疎開をはじめ防空、避難計画が立てられていたが、想像を超える破壊力の前に役に立たなかった。

 全国の都市が次々と空襲を受けるなか、軍関係の機関や中央官庁の出先機関が集中する広島市も、いずれ爆撃の対象となるとみて防空、避難対策を検討。郊外への避難計画「大避難実施要領」を市長と東・西・宇品各警察署長名で市内の各町内会長へ三月末に通達していた。

 要領は、爆心に近い猿楽町(大手町)や紙屋町などの袋町小区は安佐郡の可部、八木、緑井へなどと、防空小区別に市周辺の佐伯、安佐、安芸各郡の町村を避難先に指定。市民は平時より各自の避難町村への順路、里程などを承知しておくよう命じている。これを受け、各町内会長は町籍簿のほか食糧、医薬品などを避難先に備蓄する一方、隣組などを通して市民に避難先を周知させていた。

 しかし、六日午前八時十五分ごろ、B29が投下した爆弾は、これまでわが国が経験したことがないほど強力で、市内の建築物のほとんどが一瞬にして倒壊。市民の多くが避難する間もなく、強い熱線によって死傷した。市全体が炎に包まれ、倒れた家屋の下敷きになるなどして動けなくなり、焼死する者も多数いた。かろうじて一命をとりとめた者も焼けただれた皮膚がぶら下がる手を前に出し、さまようばかりだった。火を逃れて郊外へと向かいながらも力尽き、沿道で亡くなった被災者も見受けられた。

 大竹町へ出張中で、夕方になって広島市内に入った県警察部警防課の新畑十力警部補(29)は「避難先を指定されていても火の勢いが強く、とても行き着けなかっただろう。逃げられるところへ逃げるという状況だった」と避難実施要領が機能しなかったことに無念さをにじませた。

 避難要領のほかにも、警防団非常応援規定や罹災者避難実施計画、非常炊出し計画などがあった。三月には県と市が、それぞれ防空本部を設置。焼夷弾搭載百五十機、爆弾搭載百五十機という大規模なB29襲来を想定し、浮袋二十万人分を市民に配給したほか河川の要所に舟艇を配備した。また非常給食の準備も進め、市民にはバケツリレーなどの防空指導を繰り返した。

 防空体制は次第に強化され、広島市は米国の雑誌でも「ベルリンに勝る日本一の防空都市」と称された。しかしB29三千機分の破壊力と言われる新型爆弾の威力は県や市の備えをはるかにしのいだ。通達された計画はまったく役に立たず、市は壊滅。市民の防空訓練や空襲被害調査などを職務とする新畑警部補は「これほど一度に市全体が火に包まれるとは思いもしなかった。計画はしょせん計画にすぎなかった」と、想像を絶する被害の前に、驚きと落胆を隠せない様子だった。
 
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