ヒロシマ新聞トップ > 市民生活[記事]
 
  • 避難の列 市外へ
◇中山町
 市中心部から郊外に通じる主な街道から、被災者が続々と脱出をはかっている。中山町では北へ逃れようと峠を越える人々で細長い列ができた。精神的なショックで口をきくものもほとんどない。なかには半袖で、火傷の手の先から垂れた皮膚をぶら下げ両手を突き出しながらとぼとぼ歩く姿も。
 全身の皮がただれた幼児を抱えながら歩いていた増田勉さん(29)は「この子に水をやりたいんだが、やけどには水をやっちゃいけんという話が広まっている」と自らの火傷も忘れ途方に暮れていた。
◇矢賀町
 避難者の列は矢賀方面にも押し寄せている。ほとんどが裸足で、炎暑で焼けた路面を歩いている。この光景を見かね、作りためておいたわら草履を百足分、軒先に置いた地元民も。しかし、たちまちなくなったという。
◇牛田地区
 牛田早稲田の早稲田神社にも、けが人が次々に避難している。
近くに住む主婦、高田富貴さん(37)は、「裏山や早稲田神社に通じる道には、倒れて身動きできない人もいる。女子商の生徒さんは『水をください』と声を振り絞っていた」と話している。
◇大洲町
 大洲町の大洲派出所前の街道では、海田方面へ逃れる避難者らでごったがえしている。ほとんどが着の身着のままで言葉もない。道路に倒れたまま動かなくなる人も。
 県警察部に連絡をとるため段原日の出町の自宅から派出所にやってきた和田恒利巡査部長も、派出所員とともに二、三人で避難誘導や入市制限に当たっている。
 
生活・くらし
くらし記事
帰らざる水都の夏 天神町かいわい
核開発競争・ヒバクシャ
被爆死傷者
在外被爆者と救援の現状
軍都広島
中國新聞社の被害
インタビュー 川本隆史 教授
原爆ドーム
在外被爆者
被爆死者数
 本ページ内に掲載の記事・写真などの一切の無断転載を禁じます。"ヒロシマ新聞"における情報の著作権は中国新聞労働組合または情報提供者に帰属します。
 2005年8月6日発行 中国新聞労働組合 広島市中区土橋町7番1号 郵便番号730-8677
 写真提供 : 広島平和記念資料館/広島観光コンベンションビューロー/広島市公文書館  協力 : 中国新聞社  制作協力 : SOLALA co,.ltd.
 (C)Copyright 2005 Labour union of the Chugoku shinbun. No reproduction or republication without written permission.
 7-1 Dohashicho Nakaku Hiroshima Japan