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- 暁部隊、懸命の活動
患者輸送・消火・給水
(六日午後)
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炎上中の広島市街。炸裂後約1時間たった頃には、広島市の大半が炎上した。宇品町の陸軍船舶練習部構内(約4160m)から望見。 |
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陸軍船舶司令部(佐伯文郎司令官)=通称暁部隊=は広島市南部の宇品地区にいたため、他の軍部隊に比べると被害は比較的軽かった。このため配下の各部隊は消火や救護活動の中心となり、女子挺身隊も含めて献身的な努力を続けた。司令部には負傷者が続々と逃げ延びて来たが、収容し切れず、似島検疫所や金輪島へ船でピストン輸送した。
爆発した当時、通信補充部隊の特別幹部候補生は上半身裸で体操中。ほとんどが大やけどを負った。佐伯司令官の指示で第二総軍、県庁、市役所などに電話連絡を試みたが、通じなかったため、兵士を各方面に偵察に出した。
その結果、市内で火災が発生しているのが分かり、午前八時五十分、消火艇、救護艇を川から市中心部へ派遣した。さらに詳しい状況報告を基に救護、消火活動に各部隊を振り分けた。
午前十一時すぎには中国地方の各基地に対し、「敵の新型爆弾が広島市に投下さる。各基地は全力を挙げて復旧救援に従事せよ」との指令を出した。
正午前に、江田島・幸の浦基地(船舶練習部第十教育隊)も応援に駆け付け、広島電鉄本社(千田町)に指揮所を設け、負傷者の救護に当たった。午後一時すぎには宇品地区の水道が減水し、幸の浦基地より衛生濾水器を輸送し、水を確保。り災者用には乾パン、作業着、蜜柑缶詰などを配給した。
一方、爆発からしばらくして被災者が司令部(宇品町一丁目)に大勢詰め掛けた。被害を受けてない軍医二人、衛生兵三人、看護婦五人が懸命の治療に当たったが、とても間に合わず、安全と思われる似島検疫所へ輸送を始めた。午後二時には司令部に収容した負傷者は千三百人に達した。
夕方になっても司令部に逃げて来る負傷者は後を絶たず、救護活動は徹夜で続いた。 |
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