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  • 南方戦線の比じゃない
    御幸橋の光景脳裏に

    (六日夜)
五日の軍旗祭(連隊記念祭)の演芸大会で優勝し、優勝の賞品を手に笑顔の岡田六郎兵長。この時、翌日の地獄絵図を想像もしなかった。
  軍旗祭で余興 翌日に“悪夢”
暁部隊の岡田六郎兵長(江戸家猫八さん)語る


 広島市宇品町に兵舎があった陸軍船舶部隊(通称暁部隊)は、全軍の船舶輸送作戦に従事する部隊。六日の新型爆弾投下による負傷者の救護活動に当たった。その中の一人、陸軍船舶砲兵第一連隊(暁2953部隊)の岡田六郎兵長(23)=東京出身=は、ラバウル、北千島での輸送任務で九死に一生を得る経験をしているが、「これは、そんなものの比じゃない」と話した。

 連隊付の公用兵をしている岡田さんは六日朝、兵舎でまだ寝ているところを、初年兵に起こされた。「B29が、何かを落下傘で落としました」。岡田さんは前日の軍旗祭(連隊記念祭)の演芸大会で声帯模写など披露して優勝。賞品で手に入れた酒を飲み過ぎ、二日酔い気味の頭で「また、宣伝ビラだろう」と思った。

 「九つの時から三年間、親父の初代江戸家猫八一座で地方を回り、召集前は古川ロッパ一座にいた本職ですから…。声帯模写などはお手のもの。六日朝は、ロッパ一座で一緒だった花形女優、園井恵子さんが新劇のさくら隊の慰問で来るってんで、会いに行くつもりだったんですが…。二日酔いでまごまごしているうちに、兵舎前での朝の点呼にも遅れ、点呼に出ていた初年兵に起こされちゃったんですよ」

 しばらくして、空がピカッと光った。「青空の明かり以上でねぇ。この明かりがなくなった後は、外が暗くなったように感じましたよ」。続いて「ドーン」という大音響。とっさに「爆弾だ」と思い、急いで外の防空壕に逃げ込もうと走ったところ、爆風が襲ってきた。

 連隊は大騒ぎ。だが、状況が分からない。兵舎を出るには外出許可が必要で、二人以上が原則。公用兵の仕事は、比治山町にある船舶砲兵団司令部との連絡係で、「公用」の腕章一つで自由に外出できるため、「お前、様子を見てこい」と上官から命令を受け、一人で歩いて御幸橋まで行った。「この時に見た光景は、忘れられそうもない」

 黒く焼けただれた人の列。皮膚がペロリと落ちた人々。「ラバウル、北千島で、敵潜水艦の魚雷が輸送船に命中しそうになるなど、危ない目にはずいぶんあってきたが、この爆弾はそんなものの比じゃあない。大変な事が起きた」と、直感で分かった。あわてて兵舎に引き返し、上官に報告した。

 この後、軍医と数人の兵士で編成した救護隊の一員に。中心部に行くにつれ、負傷者はどんどん増える。「水をくれ」と叫ぶ声。だが軍医の命令は「水をやってはいかん。火傷の人に、慌てて水を与えると、死亡することがある」。「泣き叫ぶ声に、耳をふさぎたい気持ちだった」

 負傷者の火傷には「チンク油」を塗った。だが、負傷者数が多すぎて、軍から持ってきた薬では足りず、手の施しようがなかった。夜になって「死者の体から、フワッと、ほのかな明かりが浮かび上がるのを、初めて見た」と言う。
 
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